6

 

 本物のバーレスクを観たことのない私たちは、ついストリップをベースにバーレスクを想像してしまう。しかし、チェリー・タイフーンは「バーレスクダンサーが脱がない最後のドレスがある」と強調する。サヴィアーノがこだわるペルソナ、そしてチェリー・タイフーンがこだわる「最後の気配」にバーレスクの存在意義と愉しみがあるようだ。

 


 

 バーレスクダンサーが最後に着ているドレスが「気配」だと思います。全部を脱いだ結果、着ているもの、それは自ずと昼間の自分も着ているもの。最後に立ち返ってくるもの。ある日、ミス・エロチカ・バンブーが「バーレスクダンサーが最後に着ているドレス、それは自分自身だ」と仰っていました。バーレスクはその最後のドレスを見せていくためのプロセス。つまり、バーレスクは脱がないということなんですね。ストリップジョイントの本質は脱ぐことかもしれないが、バーレスクの本質は単に脱ぐというところにはない。

 「最後のドレス」がポーレの言うペルソナだと思います。昼間、銀行員をしているダンサーも、コンピュータ・プログラマーをしているダンサーも、庭師のダンサーもその「最後のドレス」…つまり、その人自身を着て生活をしている。

 誰だって、人と出会って、その人の素顔が見えた気がするときは嬉しくなる。バーレスクってこんな超当たり前のことなんです。ああ、このダンサーって、こういう人なのだろうか、と想像する喜び。ああ、今日の彼女はこうだった!と観客は嬉しくなっていくのです。

 バーレスクは、男性の性的興味を引くためにやっているセックスワークの一分野であることは揺るがない事実です。でも、性別を超えて、女性も観に来ます。ダンサーの最後のドレスを垣間みる瞬間がおもしろいから。

 


photo | Shinsuke KOTANI