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 ポーレ・サヴィアーノはバーレスクのダンサーたちを撮影するにあたって、ステージ上でドレスを脱ぐ彼女たちには興味がなかったという。彼は、昼間は別の仕事をする彼女たちがステージの上で表現するペルソナ(仮面)を描き撮ることを作品づくりのテーマに置いた。では、チェリータイフーンにとってのペルソナとは一体何だろう?

 


 

 紫ベビードールのビバーチェをやっているときも、チェリー・タイフーンをやっているときも願っていることは、その空間にいるお客さんも私もハッピーであること。ビバーチェでいるときは、笑いという明確な方向性があります。笑いというペルソナですね。チェリータイフーンの場合は、特にひとつ強化している面があるわけでは訳ではないのですが、ハッピーということですね。強いて言うのであれば。

 舞台の脚本家をやっていたときは人の心の闇を暴きだすような作品を作っていました。人の心の本音と建前の間にある、隙間や闇がテーマ。隙間を暴くことで、人の「本心」というものを描きたかった。でもなんとなくそんな暗い方法は釈然としなくて、もっと正直になりたい、と思って色んな表現活動をしていたら、いつのまにか紫ベビードール、そしてバーレスクに出会っていった。


photo | Shinsuke KOTANI

 今は、楽しい手法を使っても「正直になろう!」というテーマは描いていけると思っています。自分に正直でありたい、というテーマはずっと私の中で一貫しています。それが闇を暴くという方法でやっていたときと、光を当てるという方法でやっている今の時期の大きな違いがあるにしても。

 じゃあ、実際のステージに上がって、何十人もいる観客とハッピーというキーワードをいきなり共有できるか? そこがバーレスクの難しいところです。無理に踊ろうとしたり、笑わせようとすると決して、ノッてこないし、笑うこともない。

 ニューヨークで1枚の布で踊ったとき、ステージの上で「バーレスクは、相撲の立ち合いの『八卦よい』の状態だ」ということだと気づきました。お客様と私が、「ああしよう、こうしよう」という緊張感を取り払ったうえで、互いの気が合って「八卦よい」という状態になったときに、楽しさが生まれます。日常という緊張感から解き放たれたいと思って来てくださっているお客さんたちの前で、緊張しても意味がない。バーレスクでも観てパッとしようか、と思っている人たちの前で、「どう、うまいでしょ」と踊っていたらかみ合うはずもないですね。


photo | NEGIBOU

 会場にはいろんな気分の人がいます。その総合的な気分とともに踊ることが大事。悲しい人がひとりいるかもしれない。すごくハイな人がひとりいるかもしれない。だから全体の気分に出会ったうえで、「八卦がよい状態」になるのを待つのです。でも、それが難しい。本当に難しい。気の集合体。お客さまという多数と私という一人なんだけど、本当に一対一になるんですよ。

 がっぷり四つに組めたときは、お客様一人ひとりの顔が見えています。自分の顔も入れて。俯瞰的ですね。本当にまれですけど。今までに数回しか体験していません。音も止まる感じ。真空な空間に一緒にいる状態ですね。場にいるすべての人とつながっている感覚。もしその感覚を体験しなかったら、これほどバーレスクって不思議なんだろうって思わなかった。そういう体験をした以上、もう1回もう1回というふうになってしまう。

 逆にお客の立場でバーレスクを観たときに、その真空に引き込むダンサーがいるんですね。そういうダンサーが世の中にいることを知ってしまった以上、魅了されてしまう。ダンサーだけでは完成しなくて、お客様だけでも完成しない。例えばあるダンサーの同じ演目を私は何回も観ているのですが、一度として同じことがない。振りの手順は同じなのに全部が違う。場の空気、土地の気配、お客様の気分、そしてダンサーの今の状態。すべてが重なり合い生まれる真空。それが毎回踊りを変えていく。バーレスクは本当に不思議な分野です。