陶芸家
トーマス・ボーレ
(オーストリア)

看護士だったあなたが陶芸の道に進んだきっかけは何ですか?

初めて陶器に触れたのは、まだナースをしていた頃、友人が私をイギリスで開催される陶器セミナーに誘ったことがきっかけでした。行きたくないとさえ思っていたのが、ろくろと土の感触に出会い、ずっと触れていたいと思うほどとりこになってしまいました。

陶芸の中でもなぜストーンウエアを作るのですか?

オーストリアへ戻ってからまずは楽焼きから始めました。窯から焼きたての熱い陶器を出し木片に移す(木の葉やおがくずでいぶしながら釉薬に変化をつける)、その作業が大好きでした。楽焼きは誰にでも簡単にできますが、陶器としてのクオリティは低く、日常使いでは壊れやすいものです。日本の楽焼きがヨーロッパで行われているより高温で焼かれていることを知ったことが、より高温で焼くストーンウエアへ移行したきっかけです。

ストーンウエアは技術的により限定されますが、その中で可能な限りシンプルさ、完璧さを追求してゆくプロセスが、自分の内側に響く作業となりました。シンプルな形ほど高度な技術が要求されます。どんなに小さな間違いも明らかに見えてしまうからです。

土は高温(1,300度)に耐え、成形に安定のよいドイツ西部のものを使用しています。初期には器の外側に釉薬をかけないデザインを用いていたので、土の白さも重要でした。

独特なフォームはどのようなインスピレーションによるものですか?

フォームのヒントとなるのは、伝統的な台所用品だったりします。多くのバリエーションが生まれた二重構造の器は、台形のケーキの型がモチーフになっています。身近に生活のなかにあるもののスケッチを、例えばさかさまにひっくりかえしたものが斬新なフォームになったりするのです。

私の生まれ育ったオーストリア西部の大自然は、私に豊かなインスピレーションを与えてくれます。アルプスの山脈、雲、氷、木の幹。森の中を歩き、自然のプロモーションを観察するのが好きです。こういったシャープな造形は、すべて自然界に存在しているのです。
灰釉をかけた作品は、岩にむす苔をモチーフにしています。そのざらつきを表現するために、釉薬を吹き付ける口を広くし、粗い仕上げにしています。

また、今では代表的なスタイルとなった縁のドロップも、つららが溶けてゆく様から着想しました。ドロップができるとふつうは失敗です。私にとっても始めは失敗でした。でもなぜだか愛おしかったのです。このコントロールできない存在を、失敗として否定せず美として昇華できないかと考えました。

あなたの庭には叩き割られた破片や野ざらしの刑を受けた器が転がっているのですが… ドロップの例もありますし、様々な釉薬への挑戦は思いもよらない結果を生むことも多いでしょう。失敗作はどのように失敗なのですか?

焼く前から納得のいっていない作品は、焼き上がってもだめな場合が多く、お客さんも目を留めません。そのような作品や明らかに技術的に失敗した作品は叩き割ります。割ることで気持ちが解放され、次の作品へと進めるのです。
技術的には成功で、釉薬が思ったように働かなかった場合は猶予期間を持ち、しばらくアトリエに置いておきます。思ったように働かないということは思いがけない働きということでもあり、そのうち見慣れてくると一番のお気に入りになっていたりするのです。

あなたの作品は、内側に生命の情熱を秘めながら、とても静かな佇まいです。それらを作り出している時のあなたの内側は、穏やかに静かなのですか? それとも情熱的に興奮しているのですか?

完璧なフォームを創り出すまでのプロセスには、心を「静」に保つことが必要です。何にも邪魔されず、終日集中して創り続けられる環境が重要です。集中に入ると、ドアが開いても電話が鳴っても聞こえなくなります。外に出ず、昼ごはんや休憩は家でとり、夜中まで創り続けます。このようなピリオドは1週間ほど続きます。たくさんのインスピレーション、新しいフォームのアイデアが「静」の精神と莫大なエネルギーのバランスのなかから生まれてきます。こうして集中し、疲れ果てるその最後にできたものがいつも最高の仕上がりとなります。

あなたの造形は一つ一つが徹底的に完璧さを追求されていながらも、実にバラエティ豊かなアレンジがありますね。新しいフォームはどうやって生まれて来るのですか?

フォームのバリエーションはプロセスの中で発見しながらゆっくりと変化してゆきます。まずはひとつのフォームに集中し、すべて手作業でありながら、薄さ、幅、大きさ、すべて同じになるよう完璧を追求します。それからバリエーションを試してゆくのです。

釉薬をかけるのもまたとても大切なプロセスです。釉薬の仕上がりによっては完璧なフォームを破壊してしまうこともあるのです。土とのバランスのよいコミュニケーションが必要です。

あなたは展覧会で「作品にぜひ触れてみて下さい」と言っていますね。

完璧なフォームを目で見ることも喜びですが、私にとっては触れること、手で見ることが一番の喜びです。微妙な表面のうねり、なめらかさ、粗さ、様々な感触が目で見るのとは別の世界を与えてくれます。
以前オランダで個展を開催したとき、盲目の女性がたびたび訪れては私の作品を触るのを楽しんでくれました。その隣で夫が色や形を彼女に説明しようとすると「私は手で見て知っているんだから」と言ったのが印象に残っています。

あなたは中国と日本の陶芸に非情に深い興味と敬意を持っていますね。あなたの作品はそれらに影響を受けていると言えるのでしょうか?

私はあらゆる陶磁器が好きで興味がありますが、特に陶器の発展の歴史を見るなかでも中国と日本がもっとも魅力的でした。釉薬には中国の伝統的な赤、辰砂(OX BLOOD)を好んで使っています。700年前の宋朝初期のシンプルで美しい青を持った作品がもっとも好きです。
2003年に初めて日本へ行き、各地の陶芸を見学しました。なかでも炎と灰がダイナミックに舞う穴窯にもっとも感銘を受けました。私にとっては全く新しい陶芸へのアプローチに見えました。けれど同じ手法を辿りたいとは思わず、むしろ尊敬するからこそ、自分のスタイルをさらに真摯に追求しようという気持ちになりました。

日本人が作ったと思った、という感想がよく聞かれますが。

私の作品はヨーロッパでも日本を意識した作品とよく言われます。ですが前述のように、モチーフとしているのは日用品であったり自然の造形であったり、デザインに意識的にアジアを取り入れたことはありません。ただ純粋性やシンプリシティを追求してきた結果、それが日本のシンプリシティと自然に共通したのだと思います。

今後の作品で挑戦してみたいことは何ですか?

日常使いの器を作っていた頃、ブレゲンツの森(トーマス・ボーレの住む地域の広大な森)で大地に根ざしたシンプルな暮らしをしている酪農家の人々が、まっすぐにベストな作品に吸い寄せられていったのが興味深いことでした。手渡したくなくて別の作品に興味をそらそうとしても「なんだかこれが一番いいんだ」と言って必ず一番できのよいものを選んでゆくのです。
今後の展開として、ブレゲンツの森でとれる材料のみを使った作品を作ってみたいと思っています。それぞれもっともふさわしい材料でないのはわかっていますが、それからどんなものができあがるか、私自身の興味もあるのです。

より大きな目標としては、磁器に挑戦してみたいです。釉薬があまり必要ない分、自然な素の美しさを引き出せると思うからです。

トーマス・ボーレのアトリエにて
2004年2月
インタビュー: Izumi

 

言葉は得意ではない、作品が自分の言葉、という彼は、言葉は不自由でも答えそのものにはいっさいの迷いがなかったことが印象的です。これまでに作った作品はすべて自分の手が覚えているというトーマス。静と動をひたすら真摯に芸術に向ける姿は、言葉を越えて豊かなメッセージを与えてくれます。それはまるで、森の中の大きな木に出会ったとき、この木は森のことを何でも知っているのだと感じるような感覚でした。数時間話したのちお礼を言うと「こちらこそありがとう、今までこうやって自分のやってきたことを辿ってみたことがあまりなかったので、自分にとってもいい経験だった」と照れ笑いであたたかい言葉をくれました。

このインタビューの後、東京と上海で初めての個展を開催し、精神的にも大きなステップを踏んだトーマスが2006年1月に新たなテーマで向かったエフでの展覧会『粉色閨房/Pink』の詳細はこちら

BACK TO TOP