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 ポーレ・サヴィアーノと展覧会の準備をしていたとき、彼が「日本にもバーレスクのチームがある」と教えてくれたことがあった。その名は「紫ベビードール」。奇遇にもその中心人物のひとり「ビバーチェ」は、2005年にエフで開催された演劇『シカク』の脚本家と同一人物だった。ソロのバーレスクダンサー「チェリー・タイフーン」としても活躍する彼女に、バーレスクの真髄について語ってもらった。

 



photo | Shinsuke KOTANI

 紫ベビードールは女の子のパフォーマンスで、結成した当初のコンセプトは「セクシーを笑い飛ばす」ことでした。セクシーさには、可愛い部分や性的な部分だけでなく、滑稽さや格好悪さが含まれていて、そういった部分を表現してみたかった。あるいは、パワーだったり。

 中心人物は3人。ダンサーで振付家のエヴァ、企画者のクララ、演出のビバーチェ。3人とも女の子が若さとセクシーさだけで扱われ、消費されていることに飽きていました。消費されないかたちのセクシーさとは何だろう? ということを思った3人が出会って、紫ベビードールを結成しました。

 結成の前後から、日本人の素晴らしいバーレスクダンサーであるミス・エロチカ・バンブーさんやキャバレッタさんの存在は知っていました。しかし、バーレスクという物の本質を理解するのは、もっと後のこととなります。

 というのは、当時の私はまだ全く知らなかった事なのですが、日本にもフロアーショーという素晴らしいバーレスクの黄金時代があったにも関わらず、過激な露出の波に追われ、日劇が終焉、フランス座が惜しまれつつ中断されたというチラリズム受難の時代が訪れてしまっていたのです。日本のセックスワークのもう一つの確固たる伝統であるストリップは様々な過激な形をとりつつ続いてきたのですが、バーレスクはほぼ消滅しかけて、現役のバーレスクダンサーとお会いする機会が大変少なくなっていました。ところが2005年のニューヨークで開催された「ザッツ・キャバレー・イン・ニューヨーク」に参加したことがきっかけで、バーレスクに突如ダイレクトにめぐりあいました。当時のニューヨークでの「ネオ・バーレスク」という動きの中にいるトップのダンサーたちに出会うことができたんですね。本物のバーレスクとはこういうものなのかと、カルチャーショックを受けました。

 とにかくそのエネルギーに圧倒されました。脱げばいいということではなく、まず生命力がないと、見せ物として成り立たない分野だということがはっきりと分かりました。

 バーレスクの手順はある意味においてはみな同じかも知れません。音楽が鳴る。ステージに入ってくる。踊る。脱ぐ。終わり。プロセスは同じであっても、ダンサーによってエネルギーの出し方が違う。エネルギーそのものが静かだったり、アップテンポだったり。すなわちその人の考え方が表現そのものになる、という気づきがありました。

 さて、アメリカの法律では乳首と局部は隠さなければなりません。そのため、バーレスクダンサーは、「ペイスティ」という乳首を隠すシールのようなものと、Gストリングスというパンティのようなものを必ず身に付けなければなりません。もし外した場合は退場です。

 このような不便な制限があるからこそ、生まれてきたいくつかの技もあることを知りました。自分に良く似合う可愛いペイスティを作ったり、ペイスティの先につけた房(タッセル)を回す技…回し方もそのほかの技もダンサーによって千差万別です。日本ではそういった技を観る機会は本当に少なかったので、それも新鮮でしたね。