1868年(慶応4年/江戸時代末期)、浅草に材木問屋の内蔵として建てられた土蔵を、有志のアーティストたちが再生したアートスペース。1996年改装工事、1997年4月オープン、1998年文化庁登録有形文化財として登録。関東大震災と東京大空襲をくぐり抜け、江戸の建築を現代に伝える二階建ての力強い空間に、黒と朱の漆塗りの床が緊張感を放つ。空間に依らないメッセージ性を持った作品を、アーティストとの共同企画によってジャンル、国籍問わず発表している。
1Fデザイン・製作 Photo: Hideki Shiozawa |
2Fデザイン・製作
漆造形作家・藤沢町子
Photo: Hideki Shiozawa
1945年3月19日、東京大空襲から1週間後の浅草。松屋デパートの屋上から撮影された焼け野原の風景。 『東京空襲を記録する会』より寄贈 |
現在の浅草(2006年撮影)
江戸時代(慶応4/1868年)に建てられた土の蔵。関東大震災、東京大空襲と二度の災害をくぐり抜け、近年の都市開発にも負けず浅草の地に建ち続けてきました。所有者の事情で取り壊される寸前だったこの蔵は、96年に一人のアーティストと 出会いました。漆造形作家の鍋島次雄さんです。彼は長年人の目に触れることなく朽ちかけていたこの建物と出会い、すぐに所有者に改修工事を申し出ました。 改装工事にあたっては鍋島さんの人脈を主流とする様々な分野のアーティストが時間と労力を惜しまずボランティアで協力しました。 並行して、崩れ落ちた壁や雨の漏っていた屋根瓦など、建物本来の機能を修復する作業は 一流の職人さん達がアーティストとの交わりを楽しみながら進めていきました。約半年の間、のべ200人の人が関わったことになります。 想像を絶するスケジュールをこなしながら、1997年4月28日 アートスペースとしてオープン。オープニングを飾る個展も開催されましたが、2階へ上がる階段は梯子状で未完成のまま、勇気のある人しか登れないという状態でした。けれど鍋島さんがこの場所に初めて足を踏み入れた瞬間に湧いてきたという黒く光る「月夜の森」のイメージは見事に完成し、その重厚さと静けさで人々を圧倒しました。 「誰かのためにしたことではない。この建物を使って遊ばせてもらった」とアーティストたちは口々に言いました。このような「気持ち」がこの建物を現代に甦らせたことは事実です。ボランティアであっても、自分の手で形を生み出していく行為にこそ喜びを見つけられる。私たちはお金に替えることのできないこの「気持ち」を 大切にしていきたいと思います。経済社会の中で私たちが見落としてしまいがちな日常の微細な喜び、 視点の変化、それらを自らの手で模索し、表現し、創造するアーティストの行為をたとえ小さい力でも応援していきたいと考えています。 個展を重ねるたびにアーティスト間の交流も広がり、深くなっていきました。この場所で出会ったアーティスト同士のコラボレーションも多数実現し、その関係は海外へも広がっています。 併設のカフェ・バーは、そのようなアーティストの情報交換の場としても 活用されています。
土蔵修復の協賛金への呼びかけ ギャラリー・エフでは、土蔵の修復のための費用を協賛金というかたちでみなさまに呼びかけています。四方をビルに囲まれ本来の状態で呼吸できなくなった土蔵は、室内の乾燥した空気の影響もあり、漆喰の壁が剥がれてきたり梁の亀裂が広がってきたりと、様々な損傷が進んでいます。国が守らない歴史的建築物を私たちの手で守り、遺してゆくために、みなさまのご参加をお願いいたします。
土蔵修復の協賛金 1口1,000円 【振込先】
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