タオ<道>という<意識の冒険>へ
人間という精神的宇宙(ミクロコスモス)の超克から、
律動する自然宇宙(マクロコスモス)の体感へ

岡田 光興(神秘学研究家)

 人間の創造力の源泉は一体何処にあるのだろうか。生という限定された時空の中で存在する人間にとって、生そして死さえも超越した領域を想定することは、本来不可能に近いことであろう。
 しかし、この領域を敢えて想定し、それを「無為自然(自然にして成さざるはなし)」と定義し、さらには宇宙生成における根源でありすべての事象の淵源として「道(TAO)」という概念を創出した老子は、すでに<人間>という領域さえも超克した存在だったのかも知れない。
 しかし不思議なことに、我々人間は老子の「無為自然」あるいは荘子の「虚無絶対」といった「道(TAO)」そしてそれを体現する真人(神人)の神仙の世界に魅了されて止まない。それは本来人間が意識の領域において無限かつ深淵なるものを有し、自らの存在を意識の小宇宙(ミクロコスモス)として直観し、律動する自然宇宙(マクロコスモス)との間に共時性(シンクロニシティ)を体感している所以であろうか。
 <金大偉>という小宇宙(ミクロコスモス)を二十年近く観察してきた私にとって、改めて彼の想像力の源泉について考える時、それが「道(TAO)」という最も中国的でありかつ普遍的な概念に逢着することに容易に納得させられる。金大偉という生死ある存在(ミクロコスモス)は、大いなる広大無辺の大宇宙(マクロコスモス)と常に交信しつつ、私たちに律動する自然宇宙(マクロコスモス)の一端を提示し続けているのである。
 その意味で彼は、「老子」の言う所の「道の道とすべきは、常に道にあらず」という「天の道」、それは私流に換言すればアートを媒介にする人間の無窮の創造的営為の源泉へと私たちを誘う「道(TAO)」のメッセンジャーであるのかも知れない。そしてその無限の想像力の源泉と常に交流することが出来る「器」としての資質こそが、あらゆるジャンルを超えたアーティストとして屹立する金大偉をして「天才」たらしめている最大の所以なのだろう。
 今回の展示における、時空を複相的に捉え<龍>をその内軸に置いた「TAO」というテーマも、<アートの真人>たらんとする金大偉の並々ならぬ意欲が感じられ期待されるものである。       

タオとドラゴン 
松井不二夫(美術評論家)


 東アジア的な<唯一者>である<タオ>。
 それは完結した不動の原初原理ではない。太極図が円の中に陰陽の二項をはらむように、力動的な原理である。ヨーロッパにもウロボロス図(みずからの尾を噛む蛇)があるが、これはただ循環し全一性に回収されるにすぎない。対して<タオ>のシンボリズムにおいては、陰と陽の二対の相克が無限に反復されることで多様性を編み出していく。<タオ>の地平にあって創造行為は一回性のものでも循環するものでもない。いたるところで創造が今なお展開されつづける。
「易に太極あり、これ両義を生じ、両義、四象を生じ、四象、八卦を生ず」(易経繋辞伝)
 この生成する感覚こそ<タオ>である。二ヶ所を往復するように見えてあなたは新たな地平を生み出す。金大偉とプロジェクト・タオが仕掛けた陰陽の仕組みにあなたが呼応することで世界は展開しはじめる。浅草と青山を移動することは、東京の新たな霊的地政学に参加することでもある。江戸の風水の機能はとっくに終わっているが、まだ発動していない地脈を見出すことは可能だ。旧い町と新しい町を往復することは時空を越える営為に等しい。今回の東北と南西をつなぐ危険なラインは、しかし間に王城があるために、移動するには地下鉄を南回りするか北回りするしかないだろう。この二つのルートを使って往復してみるのも一興だ。回転することで東京に太極図を描くのである。
 アーティスト金大偉とプロジェクト・タオのもう一つの指標は<龍>。
 ヨーロッパではサタンの形象化であるが、東アジアでは仏教の守護者であり王権の象徴である。我々はこの超自然のエネルギーと敵対するのでなく調伏したかのようだ。しかし龍は飼い慣らされたわけではない。それは芸術のように、いつでもエネルギーの開放を待っている。芸術は爆発であって、たしかに優れた作品はテロリズムにも似た危険性をはらむ。芸術が路上に開放されれば日常性を揺り動かし精神の危機をもたらしてしまう。それゆえ絵画が額縁に閉じ込められ、音楽が時間に閉じ込められ、舞踏が身体に閉じ込められ、かくして芸術は安全平和な装置となる。綺麗な箱に入れてリボンをかけなければ芸術は一文の価値も生まないかもしれないが、それは芸術を不発弾にしてしまうことかもしれない。
 今回のプロジェクトでは、あなたの力を借りて芸術にさらなる活力を与える。あなたは見て、飲んで、食べて、聞いて、そして移動する。あるいは霊威を感じとる。そうしたあなたの関わりが作品を生けるものとする。これは芸術開放という危うい手続きをあなた自身に求めるものでもある。作家にとって芸術は爆発かもしれないが、このプロジェクトにおいて、あなた自身が芸術に火を点ける導火線となる。それはあなた自身の創造性を目覚めさせることにもなるだろう。

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