ポーレ・サヴィアーノ 写真展『FROM ABOVE in 長崎』2013
【1】2013年 7月9日(火)〜8月2日(金)
会場|ナガサキピースミュージアム
「大浦海岸通り」電停下車徒歩約5分
長崎市松が枝町 7-15 TEL 095-818-4247
入館無料 開館時間|9:30-17:30(最終日は14:00まで)
休館日|7月16日(火)/22日(月)/29日(月)
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◎展覧会紹介記事:西日本新聞 7月9日付夕刊 >>
【2】2013年 8月8日(木)〜18日(日)
会場|長崎県美術館・運河のギャラリー
「出島」電停下車徒歩約3分
長崎県長崎市出島町2-1 TEL 095-833-2110
入館無料 開館時間|10:00-20:00
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企画|FROM ABOVE in 長崎 実行委員会
制作|ギャラリー・エフ(東京)
協力|ナガサキピースミュージアム/株式会社 コミュニティメディア /アートコミッション・ナガサキ
後援|長崎県/長崎市/公益財団法人 長崎平和推進協会
チラシ >>
[出展作品 撮影年順/50音順/敬称略]
下平作江/平 節子/高原 至/恒成正敏/永野悦子/廣瀬方人/深堀好敏/山口仙二/山下泰昭/外林秀人 他
[撮影協力]公益財団法人 長崎平和推進協会/西日本新聞/福井星一/株式会社コミュニティメディア
12歳からカメラを手にし、写真を通して世界を理解してきたポーレ・サヴィアーノ。ファッション、アンダーグラウンド、ミュージシャンらのポートレイトを手掛ける写真家として、華やかなスポットライトを浴びる人物たちの個性を切り取ってきた。1974年ニューヨーク生まれ。
2007年、来日した際に原爆の語り部の存在を知り、08年初めて長崎を訪れ11名の被爆者のインタビューと撮影を行う。2010年ナガサキピースミュージアムにて展覧会開催のため再度来日、新たに8名の撮影も行う。
誰の頭上にも爆弾が降ることのない世界を願い、広島被爆者、元第五福竜丸乗組員、戦後渡米して今もアメリカに暮らす被爆者たちのほか、東京大空襲、ドレスデン大空襲の被災者を始めイギリスや東欧の各空襲被災地を訪れ撮影を行っている。2011年、51名の証言と肖像を収録した作品集を出版。
写真展は有志によって東京、広島でも毎年開催されている。
キノコ雲の下にいた人々に何が起きていたのか。歴史書に紹介されることのない「個人」の人生に一人の人間として向き合い、学びながら、世界が失ってはならないメッセージを写真を通して伝え続ける。
「戦火をくぐり抜けた方たちに励まされ、私はこれからも爆撃を受けた各地の町を訪れます。平和の尊さを学び、いかに文化や民族が異なろうとも、私たちは同じ空の下に生きているのだということを心に刻むために」 ポーレ・サヴィアーノ
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作品集『FROM ABOVE』の紹介 >>
2010年長崎での活動記録映像:footage produced by Community Media Co., Ltd. (C) 2010-2013
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7月6日山口仙二さんが82歳で永眠されました。
謹んで哀悼の意を表します。
訃報:西日本新聞 7月6日付記事 >>
山口仙二さんのメッセージ(1982年 第2回国連軍縮特別総会におけるスピーチ) >>
FROM ABOVE プロジェクトの一環として、長崎で山口さんの写真を撮らせていただいた。山口さんにお目にかかれるとは思いがけないことで、森井徹記者が手配をしてくれた。一生忘れない貴重な時間を過ごさせていただいた。衰えた体で、しっかりと世界情勢を鋭く見つめておられた。何年間もほとんど外出せず人に会うことも控えておられた中で、幸子夫人からも快く受け入れていただき、とても感謝している。お話を伺ったり写真を撮らせていただいたりした40分間ほどの時間を、僕は生涯忘れることはないだろう。山口さんは私が写真を撮らせていただいた人々の中で、最も強い印象が残る人物だ。
2010年山口さんとの面会/撮影の様子(西日本新聞記事)>>
山口仙二さんとポーレ・サヴィアーノ
2010年7月2日長崎県雲仙市にて
写真提供:西日本新聞
山口仙二さんのご逝去に寄せて
ポーレ・サヴィアーノ
訳:福井星一
山口仙二さんは、亡くなられたその日にさえ、ご自身のことだけが話題になるのを望まなかったのではないだろうか。おそらく、「私が死んだ日は、私のことだけを思い出す日にしないで、生きている被爆者や亡くなった被爆者の方々について思い続ける日にしてください。そして、広島と長崎の原爆について日付や統計だけではなく、しっかりと記憶に残す日にしてください。大きな苦痛と悲しみ憎しみを何世代もの人類に残すことになった出来事を絶対に忘れないで、二度と繰り返さないための日にしてください」とおっしゃることだろう。
山口さんは、大変に勇気のある方で、ひとときも欠かさずに核兵器の廃絶のために尽くし、被爆された方々を思い続けてこられた。戦争や核兵器や放射能の恐怖について、世界中を訪れて訴え続けた。このような尽力が、世界を良い方向に動かしている。
この十年ほどはお体が弱っていたが、勇気に満ちた魂をしっかり持ち続けておられた。世間は都合の悪い昔のことは忘れてしまおうとするものだが、山口さんは核兵器の残した深い傷について世間が忘れ去ることのないよう目を光らせていた。人種や文化や世代の違いを超えて、人々を動かし続けた。
山口さんの世代が、核戦争で傷つき苦しむ人類最後の世代であり続けるために、広島と長崎の教訓が生かされなければならない。地球上には世界を何度も焼き尽くすだけの核兵器が存在し、原子力の利用が続く中で放射能を浴びて新たな被ばく者が生まれてしまっている。山口さんの功績は、これからますます大きな意味を持ち続ける。
山口さんに限らず、被爆された方々が亡くなってすぐにそのメッセージを忘れてしまうようなことがあってはならない。私たちにできるせめてもの弔いとは、広島と長崎の教訓を生かし続けることと、紛争解決などという言い訳による戦争を許さないことではないだろうか。
山口さん、ご尽力のおかげで世界は少しは良くなりました。あなたが去った今、世界から何かが欠けてしまいました。 |