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2010年 3月26日(金)〜5月9日(日)
12:00〜20:00|火曜休|入場無料

遠藤織枝(研究者)× YUCA(アーティスト)
女書:アート×学術の連歌
サイト・スペシフィック・インスタレーション

【情報掲載】ROSALBA vol.18|Pen No.264|読売新聞(3月23日付夕刊シティライフ)|百楽
【紹介記事】メトロポリスLittle Thing magazine 4月号
【展評掲載】赤旗新聞(4月19日付/アライ=ヒロユキ

 

  中国湖南省江永県において、女性たちの間だけで数百年に渡り伝承されてきた文字、女書(ニューシュ)。封建社会の厳しい性差別の中で、教育を受けることも意思を表明することも許されなかった女性たちは、独自の文字を創り出して自らの感情を綴り、女性間のみのコミュニケーションの手段として共有しました。その起源や全体像は謎に包まれたまま、2004年に最後の伝承者がこの世を去り、女書文化は事実上消滅しました。

 言語学を専門とする遠藤織枝は、女書文化の調査研究と保存に取り組む、世界でも数少ない研究者の一人です。1992年に女書に出会い、謎に包まれた文字の美しさとそこに綴られた女性たちの強い想いに魅せられた遠藤は、以来フィールドワークを重ね、研究発表や著書などを通して文化遺産としての保存を強く働きかけてきました。

 アーティスト・ YUCA は、2001年に訪れた中国で女書と出会い、その稀有な文化の輝きに心を動かされました。「世界規模で進んでいるグローバル化を砂漠化に例えるなら、消えゆく文化は砂漠に埋もれていく多様性という宝石のかけらである」と語る YUCA は、3万粒のクリスタルを用いたインスタレーション作品を上海(2004)とシドニー(2007)で発表。女書が語る美しい煌めきと悲哀の物語を、美術作品として記号化しました。

 感覚に語りかける YUCA の作品と、遠藤の研究が導く学術的理解。展覧会『女書:アート×学術の連歌』は、学術の領域内に留められている希少なモチーフを、美術の力で広く一般へと解放し、共通の課題として提示する試みです。時代の流れとともにひとつの文化が消滅する時、私たちはそこから何を読み取り、働きかけ、未来へ引き継ぐことができるのか。アートと学術が手を繋ぎ、女書という類稀な文化を創造した女性たちの叡智に案内します。

 コラボレーションの舞台となるギャラリー・エフは、江戸時代末期の浅草に建てられ、関東大震災と東京大空襲の猛火に耐えた土蔵を再生したアートスペースです。1996年、取り壊しの危機にあったこの建物の再生プロジェクトを始動させたのは、有志のアーティストたちでした。以来、歴史的建築物が置かれている現状への関心を呼び掛けつつ、現代美術が世界に担う役割を様々なテーマで提示しています。

 本展では、遠藤が収集した貴重なオリジナルのマニュスクリプト(三朝書/さんちょうしょ)、そこに綴られた女性の歌を紹介するとともに、祝福と哀痛が交差する両義的な女書の世界観を描く YUCA のサイトスペシフィックなインスタレーションが展開されます。二つのアプローチから辿る、消えゆく文化の深遠。その煌めきが、時空を越えた連歌を奏でます。


 

バーでは展覧会限定カクテル『紅月/LUNA ROSSA』をお楽しみいただけます。

 



YUCA
女書 -「記号論の間」
Semiotic Space: A Case for an Endangered Language
2004年/上海M50(莫干山路50号)EAST LINK
photo (C)2004 YUCA


YUCA
女書 -「自伝」
Missing Links : Autobiography
2007年/シドニー 旧ASN倉庫
photo (C)2007 YUCA

photo | Orie Endo

女書(ニューシュ):text by YUCA

中国の湖南省一地方の不思議な文字「女書」。その起源は数百年前に遡るといわれているが、研究者間でもその正確な起源や文字数の一致した見解はない。
長い間未知の文字体系であった「女書」の特殊性は、それが女性たちによって考案され、女性間のみで意思伝達の手段として使われ、世代から世代へと受け継がれてきたことと、コミュニケーションの手段でありながらその機密性/閉鎖性が守り続けられた点にある。それは厳しい性差別の封建社会下において、自らの文字を考案することで女性間の親密なコミュニケーションを可能にし、支えあい、苛酷な時代を生き抜いた女性達の類い稀な文化である。
繊細で美しい「女書」は常に歌の形でテキストとして書かれ、装飾モチーフとして刺繍品などに縫い込まれた。この文字で書かれたものの中には自分の半生を綴った自伝、義姉妹間の結交書、手紙、慶事の三朝書、神社へ奉納する願い事、伝説、民歌などがある。この時代の風習により、彼女たちは特定の相手と結交姉妹という契りを交わし、主にその特殊な関係の中で「女書」で書いた手紙や扇子、三朝書、手芸品などを交換し、それらを一緒に歌いながら、自分たちの物語・体験・感情を共有し合っていた。
女性として生を受けることが不幸と見なされた社会の中で、教育を受けずとも、奇跡的に自分たちの文字という記録手段をうみだしたことが、この地の女性たちにより深いレベルでの他者とのコミュニケーション、または自分自身との対話を可能にし、そして何よりも自らの感情や思考を「女書」の詩で表現するという創造活動を通して自分たちの世界を確立していたと推測される。
この地方の男性が女性の行動に無関心だったことが功を奏し、女書の存在は守られてきた。しかし、外部の者には解読不可能であった女書は、文化大革命期には「妖字」、「封建制度の忌むべき名残」して弾圧され、多くの原稿が焼却された。スパイコードの疑いをかけられたこともあるという。太平洋戦争中に日本軍の侵略により焼失したものも少なくない。元来女書による文書は著者の死去に伴い殉葬品として焼却する習慣もあり、現存する資料は極めて少ない。
皮肉にも革命後の漢字教育の普及と中国社会の変容によって、女書は消滅の一途を辿ることとなった。1980年代に女書の存在が学者たちの注意をひきはじめた頃はすでに手がかりは殆ど消失していた。そして2004年、最後の伝承者といわれる「陽煥宜」がこの世を去り、いつ誰によってどのような経緯でこの文字は発明されたのか、多の謎を残したまま「女書」とそれをとりまく文化は急速に消滅しつつある。

※テキスト、写真の無断転載、無断引用はご遠慮下さい

 

三朝書(さんちょうしょ):
この地方では、娘が結婚して三日目に、実家から婚家への贈り物や、娘がすぐ食べられるように準備した食べ物などを届ける習慣があった。その贈り物と共に、嫁いだ娘に届けられた冊子が「三朝書」である。そこには、母親・姉妹・おば・義理の姉妹などから、女に生まれたため娘と不本意に別れなければならない悲しみや恨み、嫁ぎ先での娘の幸せを祈り、婚家の人たちへ娘をよろしく頼む、などの歌が女書で書かれていた。
娘が受け取る冊子は教養の証でもあったため、母親たちはたとえ自分が書けなくても代筆を頼んで娘に届けた。三朝書を受け取った娘は生涯の宝物として大事にし、悲しいとき辛いときにこれを見て慰められた。

 


三朝書

 

遠藤織枝
元・文教大学教授。専門分野:日本語教育・社会言語学。日本語教育の教育実習で北京に赴いた際に女書文化と出会い、その表現力に魅了される。庶民の女性が自らの言語を体系的な文字として創造した情熱とエネルギーを世界に例のない快挙として、著書『中国の女文字―伝承する中国女性』(三一書房)『中国女文字研究』(明治書院)『消えゆく文字―中国女文字の世界』(三元社)などに報告している。
http://homepage3.nifty.com/nushu/
YUCA
10代後半から米国・イタリア・英国に滞在。ロンドンのゴールドスミスカレッジで美術を学ぶ。文化背景の異なる専門家たちとの交流を通して、メタな視点からアートに取り組み、人間の思考の歴史や罠・パラドックス・価値体系の謎を探る。表現形態多様。近年、歴史上の事件や失われた物語を現代のコンテクスト上に蘇らせ、世界の断片を繋ぐミッシングリンク・プロジェクトを展開している。
http://www.xyucax.com

 

【展示風景より】
※テキスト、写真の無断転載、無断引用はご遠慮下さい

三朝書 実物

中国女文字の「すごさ」
text by 遠藤織枝

 この文字とこれを創った女性たちとを紹介することばとして、「すごい」「すごい」と何度言ってきたことか。こんな月並みの表現でなく、もう少し洒落た、あるいは学識のありそうなかっこいい修飾語句を使いたいといつも思うのだが、やはり「すごい」で始まり、「すごい」で終わってしまう。
 この文字は、文字を与えられなかった女性たちが、自分たちで、自分たちが使うために、創り出した。ゲーム感覚の遊び心で作る10や20の文字ではない。400字も500字も創った。その文字で、自分たちの方言を全部書き表せた。言いたいことは何でも言えた。
こういう文字は世界中をさがしてもない。そもそも文字を創るなどと、ふつうの人間は考えない。歴史的に見るとほとんどの文字は為政者や権力者が創ってきた。中国では王朝が変わると、前政権の文字を使うのを潔しとしない新権力者が、新しい文字こそ新政権のアイデンティティとばかりに、学者たちに文字を作らせた。即天武后のように権力者自身が創った文字もある。文字とはそういう権力の象徴でもあるのだ。
 それを、中国も南方 湖南省の山の中の女性たちが創ってしまった。これを「すごい」と言わないでどう言えばいいのか。
 また、この文字を作った女性たちは、この文字でいろんなことを書いてきた。義理姉妹が結婚で別れる悲しみを綿々と書いて贈ったのを初めとして、神様へ奉納する祈祷文も、この地に伝わる伝説も歌も故事も書いた。太平天国の軍隊がこの地を通った歴史も書いたし、日本との戦争中の日本軍の侵略の事実も書いた。この地の近代史の記録である。中国は歴史の国だから、歴史書はごまんとある。長い歴史を中央権力の側から記述したいわゆる正史は図書館にあふれている。いろいろな民族の興亡の歴史書もある。しかし、それら権威ある歴史書に、このような民衆側からの歴史も含まれているという話は聞いたことがない。
 そして、もう一つ驚くことに、この地の女性たちは長い長い自伝も書いている。祖父母に始まる生い立ちの記憶から、自分の生涯が語られるのである。両親との死別、無理にさせられる結婚、結婚後の姑のいじめ、夫の暴力、衛生状態も悪くて子どもの夭折、子どもは生まれても男の子でなければ認められない負担、そして、晩年になると、今度は慈しみ育てた実の娘や孫からの虐待も受ける、などなど、尽きない悲劇の女の一生が書き綴られる。
 日本でも、戦後になってカルチャーセンターなどがあちこちにでき、その文化活動の一つとして自分史を書くことも盛んになった。湖南省江永県の女性たちはそれよりもずっと前から、教師からも女性活動指導者から教わりもしないで、自ら「自伝」と銘打って、長い自伝を書いてきた。
 俳優でも政治家でも実業家でも、その道で傑出した仕事をし、人生において大成した人が、晩年になってその人生を振り返って自伝を書く例は多い。しかし、名もない庶民の女性が、成功よりも不幸の多い悲惨な人生を自伝として書くという例を寡聞にして私は知らない。
 世界的にも例のない文字を創り、世界にも稀な庶民の記録を残してきた女性たち、これを「すごい」と言わないで何と言いったらいいのだろうか。

三朝書に挟まれていた刺繍糸や切り紙
手作業をしながら共に過ごした想い出を託す

三朝書に書かれた歌の訳文

 

女書の練習帳と刺繍作品、切り紙


扇に書かれた現代の女書
女書を学び、修得した女性たちがわずかながらいる

女書の歴史に秘められた悲哀と、消えゆく文化の儚さを数万粒のクリスタルで綴ったYUCAによるインスタレーション作品


 

三朝書に綴られた結交姉妹の歌


 

【関連書籍】
遠藤織枝/黄 雪貞『消えゆく文字 中国女文字の世界』(三元社)

翻訳本『雪花と秘文字の扇子』(バベルプレス)
原作リサ・シー著『Snow Flower and the Secret Fan

 

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